「エンヤ」といえばみなさんにとってはジョジョであり、ジャスティスであり、エンヤ婆だろうが唐津っ子から
してみればそれはズバリ唐津くんちなのだ。
してみればそれはズバリ唐津くんちなのだ。
毎年11月の2日から4日にかけて佐賀県唐津市で行われる国の重要無形民俗文化財である唐津くんち。
唐津っ子は何よりもこの催し事が大事で、これのために生きている、という人も少なくないほど。
紅白歌合戦に曳山が出たり、シャンゼリゼ通りなど国外進出したりと今や全国的にも有名になりましたし、
年々来場客数も多くなり、唐津市民どころか佐賀県民の人口と同じくらいになるのではないかと。
この「くんち」という言葉だが、九州北部以外の人には馴染みのない言葉だと思うので、ウィキペディアを。
ちなみに10月末から11月の頭にかけて、佐賀市のほうではバルーンフェスタが開催されている。
こちらは世界的に有名で、競技会やイベントも大変人気だ。
現在は数年後の世界競技会誘致に向けて励んでいるようだ。
ただ唐津くんちと日程がかぶっていることもあり、見事に観光客を奪い合ってるなと僕なんかは思うわけだ。
この辺りが人を呼ぶのが下手な佐賀県だなと。
同じ佐賀県とはいえど、北の唐津地方と南の佐賀地方では文化圏から住民の気質から何から違う。
元々からして藩が分かれていたので当然といえば当然だ。
南部はよく「佐賀人が通った跡には草も生えん」と言われるほど貧乏症というか、倹約家というか、
地道な努力をコツコツと、というような気質なのに対し、
我が北部の唐津人の方はどちらかというか豪快陽気な博多人の方に近い気質だと言われている。
話が逸れた。
さて、長々と話を書くよりも見てもらったほうが早いので早速写真を。
まずは2日夜に行われる宵山の様子から。これを皮切りに唐津くんち本祭が開幕していく。
(今回は撮影情報はつけません)
この写真は記録ではなく作品として撮影した写真なんだけど、、、後ろ姿、、、素敵じゃないです?
酒呑童子と源頼光の兜。個々の曳山については後述します。
武田信玄の兜。
信玄がいればもちろん上杉謙信の兜も。
酒呑童子の顔は横から見ても恐ろしく。。。
珠取獅子。これは後ろ姿がとてもキュートで人気なのだけど残念ながら今年は撮影できず。
駅前の様子。凄まじい人の数で場所に寄ってはまったく身動きが取れなくなることも。
上に2~4日に開催されると書いたが、3日は雨に見舞われ、くんち自体は決行されたのだが
僕はいかなかったのであとは4日の写真となります。
(何故かおくんち開催期間中に一回は雨が降ります。。。)
曳山について・・・曳山は全部で14台。町ごとに所持しています。詳しくはこちらを。
Wikipedia:唐津くんち
唐津くんちの魅力はなんといってもこの絢爛豪華で迫力ある曳山であり、囃子だ。
どこのお祭りもお神輿は神社を模倣した似たような造りなのに対し、こちらは大変特徴的だ。
一番曳山からご紹介。
一番曳山、刀町の赤獅子(1819年・文政2年)
僕が好きな坂本龍馬が生まれる17年も前に制作されていたことに今更ながら僕も驚いた。
角は1本で下がり耳。
二番曳山、中町の青獅子(1824年・文政7年)
こちらは角が2本に分かれていて上がり耳です。
三番曳山、材木町の亀と浦島太郎(1841年・天保12年)
これを亀と呼んでいいのかという形相。浦島さん平然と乗っかってますけど。
四番曳山、呉服町の九郎判官源義経の兜(1844年・天保15年)
お馴染みの義経です。
五番曳山、魚屋町の鯛(1845年・弘化2年)
女性に一番人気の曳山で、愛らしい顔が特徴的。
ただこの町、巡業中に塩をバンバン撒くので注意が必要です。
六番曳山、大石町の鳳凰丸(1846年・弘化3年)
鶏とか言うとこの町の人は激怒しますよ。鳳凰です鳳凰。神妙な表情がグッときます。
七番曳山、新町の飛龍(1846年・弘化3年)
こちらも魚じゃんなんて言うと、、、飛ぶ龍とかいてひりゅうです。魚ではありません。
八番曳山、本町の金獅子(1847年・弘化4年)
赤獅子青獅子とかぶってるって?やかましいわ。
九番曳山、木綿町の武田信玄の兜(1864年・元治元年)
みなさんご存知武田信玄。ちなみに「もめん町」ではなく「きわた町」と読みます。
今はスナックなどが並ぶ歓楽街となっています。
十番曳山、平野町の上杉謙信の兜(1869年・明治2年)
信玄の好きライバル。信玄と共にファンが多い戦国武将ですね。
十一番曳山、米屋町の酒呑童子と源頼光の兜(1869年・明治2年)
出ました、紹介します。うちの親父です。嘘です。でも本当にこんな顔してます僕の父親。
子供はほとんどそうじゃないかと思うのですが、僕はこの曳山を見てギャーギャー泣いてたそう。
だってこの血走った眼が。。。
源頼光が酒呑童子を成敗し首を跳ねたところ、酒呑童子の首が兜に飛びかかり噛み付いた、
という伝説をモチーフにしてあります。
酒呑童子についての記述はこちらをどうぞ。
Wikipedia:酒呑童子
(上の伝説については<妖怪としての酒呑童子>の項に記述があります)
十二番曳山、京町の珠取獅子(1875年・明治8年)
お椀のように見えるのは珠(球)の上半分を表していて、それを獅子が取っている様子ですね。
後ろから見ると獅子のお尻がとてもキュートなんですが、前述の通り撮影しておらず。。。
昔は黒色でした。
十三番曳山、水主町の鯱(1876年・明治9年)
若干飛龍とかぶっていることは否めないですがこれは鯱です。
哺乳類のシャチではなく、名古屋城の金のシャチホコで有名な方の鯱です。
ちなみに「かこ町」と読みます。
十四番曳山、江川町の七宝丸(1876年・明治9年)
いきなり中華色な曳山ですが、何故でしょう。
他の町と比べて江川町だけ離れたところにあるのが何か関係しているのでしょうか。
何か特別な感じしますね。
ちなみに昔は紺屋町の黒獅子というのがあったらしいのですが消滅した模様です。
町名について。
町の名前からどういった人々が暮らしているのかわかるのが面白いですよね。例えば、
刀町→鍛冶職人
米屋町→米屋
魚屋町→魚屋
呉服町→呉服屋
材木町や木綿町もそういった感じなのでしょう。町の名前はきちんと由来があって、そういう
古からのものが残っているというのはとても素敵なことだと思います。
さて3日間に渡って唐津の町を練り歩くわけですが、そのコースやそれぞれの町の位置など、
こちらのページにPDFで載っていますので貼っておきます。
唐津くんち巡業マップ(PDF)
さてここからは僕が思い思いに撮影した写真たちを貼っていきます。
塩を撒く鯛。近くにいるとぶっかかります。目に入ったら悶絶します。
信玄の兜の横顔と、、、
お馴染みの風林火山。
謙信の兜の横顔と、、、
お馴染みの毘沙門天。
信玄の兜のアップ。
謙信の兜のアップ。
義経の兜のアップ。
酒呑童子のど迫力。頼光の兜にかぶりついている様子がこれでわかると思います。
鳳凰丸アップ。
飛龍アップ。
女性ウケも狙ってしっかり鯛のアップも撮ってきましたよ。
ここからは4日の午後の中休みの際に唐津駅前に勢ぞろいした様子をどうぞ。
並んでると更に絢爛豪華。
ついでに何枚かアートフィルターのリーニュクレールでも現像してみたのですが、これがまた
違っていい感じになったので貼っておきます。
最後に、動画も作っていますのでそちらを貼って終わります。
例によってYouTubeとニコニコ動画両方に投稿していますので、お好みのほうでご視聴ください。
唐津くんちの魅力の1つでもある独特の囃子もこちらで聴けますので是非。
忙しい人のための唐津くんち2013
忙しい人のための唐津くんち2013
この写真は記録ではなく作品として撮影した写真なんだけど、、、後ろ姿、、、素敵じゃないです?
酒呑童子と源頼光の兜。個々の曳山については後述します。
武田信玄の兜。
信玄がいればもちろん上杉謙信の兜も。
酒呑童子の顔は横から見ても恐ろしく。。。
珠取獅子。これは後ろ姿がとてもキュートで人気なのだけど残念ながら今年は撮影できず。
駅前の様子。凄まじい人の数で場所に寄ってはまったく身動きが取れなくなることも。
上に2~4日に開催されると書いたが、3日は雨に見舞われ、くんち自体は決行されたのだが
僕はいかなかったのであとは4日の写真となります。
(何故かおくんち開催期間中に一回は雨が降ります。。。)
曳山について・・・曳山は全部で14台。町ごとに所持しています。詳しくはこちらを。
Wikipedia:唐津くんち
唐津くんちの魅力はなんといってもこの絢爛豪華で迫力ある曳山であり、囃子だ。
どこのお祭りもお神輿は神社を模倣した似たような造りなのに対し、こちらは大変特徴的だ。
一番曳山からご紹介。
一番曳山、刀町の赤獅子(1819年・文政2年)
僕が好きな坂本龍馬が生まれる17年も前に制作されていたことに今更ながら僕も驚いた。
角は1本で下がり耳。
二番曳山、中町の青獅子(1824年・文政7年)
こちらは角が2本に分かれていて上がり耳です。
三番曳山、材木町の亀と浦島太郎(1841年・天保12年)
これを亀と呼んでいいのかという形相。浦島さん平然と乗っかってますけど。
四番曳山、呉服町の九郎判官源義経の兜(1844年・天保15年)
お馴染みの義経です。
五番曳山、魚屋町の鯛(1845年・弘化2年)
女性に一番人気の曳山で、愛らしい顔が特徴的。
ただこの町、巡業中に塩をバンバン撒くので注意が必要です。
六番曳山、大石町の鳳凰丸(1846年・弘化3年)
鶏とか言うとこの町の人は激怒しますよ。鳳凰です鳳凰。神妙な表情がグッときます。
七番曳山、新町の飛龍(1846年・弘化3年)
こちらも魚じゃんなんて言うと、、、飛ぶ龍とかいてひりゅうです。魚ではありません。
八番曳山、本町の金獅子(1847年・弘化4年)
赤獅子青獅子とかぶってるって?やかましいわ。
九番曳山、木綿町の武田信玄の兜(1864年・元治元年)
みなさんご存知武田信玄。ちなみに「もめん町」ではなく「きわた町」と読みます。
今はスナックなどが並ぶ歓楽街となっています。
十番曳山、平野町の上杉謙信の兜(1869年・明治2年)
信玄の好きライバル。信玄と共にファンが多い戦国武将ですね。
十一番曳山、米屋町の酒呑童子と源頼光の兜(1869年・明治2年)
出ました、紹介します。うちの親父です。嘘です。でも本当にこんな顔してます僕の父親。
子供はほとんどそうじゃないかと思うのですが、僕はこの曳山を見てギャーギャー泣いてたそう。
だってこの血走った眼が。。。
源頼光が酒呑童子を成敗し首を跳ねたところ、酒呑童子の首が兜に飛びかかり噛み付いた、
という伝説をモチーフにしてあります。
酒呑童子についての記述はこちらをどうぞ。
Wikipedia:酒呑童子
(上の伝説については<妖怪としての酒呑童子>の項に記述があります)
十二番曳山、京町の珠取獅子(1875年・明治8年)
お椀のように見えるのは珠(球)の上半分を表していて、それを獅子が取っている様子ですね。
後ろから見ると獅子のお尻がとてもキュートなんですが、前述の通り撮影しておらず。。。
昔は黒色でした。
十三番曳山、水主町の鯱(1876年・明治9年)
若干飛龍とかぶっていることは否めないですがこれは鯱です。
哺乳類のシャチではなく、名古屋城の金のシャチホコで有名な方の鯱です。
ちなみに「かこ町」と読みます。
十四番曳山、江川町の七宝丸(1876年・明治9年)
いきなり中華色な曳山ですが、何故でしょう。
他の町と比べて江川町だけ離れたところにあるのが何か関係しているのでしょうか。
何か特別な感じしますね。
ちなみに昔は紺屋町の黒獅子というのがあったらしいのですが消滅した模様です。
町名について。
町の名前からどういった人々が暮らしているのかわかるのが面白いですよね。例えば、
刀町→鍛冶職人
米屋町→米屋
魚屋町→魚屋
呉服町→呉服屋
材木町や木綿町もそういった感じなのでしょう。町の名前はきちんと由来があって、そういう
古からのものが残っているというのはとても素敵なことだと思います。
さて3日間に渡って唐津の町を練り歩くわけですが、そのコースやそれぞれの町の位置など、
こちらのページにPDFで載っていますので貼っておきます。
唐津くんち巡業マップ(PDF)
さてここからは僕が思い思いに撮影した写真たちを貼っていきます。
塩を撒く鯛。近くにいるとぶっかかります。目に入ったら悶絶します。
信玄の兜の横顔と、、、
お馴染みの風林火山。
謙信の兜の横顔と、、、
お馴染みの毘沙門天。
信玄の兜のアップ。
謙信の兜のアップ。
義経の兜のアップ。
酒呑童子のど迫力。頼光の兜にかぶりついている様子がこれでわかると思います。
鳳凰丸アップ。
飛龍アップ。
女性ウケも狙ってしっかり鯛のアップも撮ってきましたよ。
ここからは4日の午後の中休みの際に唐津駅前に勢ぞろいした様子をどうぞ。
並んでると更に絢爛豪華。
ついでに何枚かアートフィルターのリーニュクレールでも現像してみたのですが、これがまた
違っていい感じになったので貼っておきます。
最後に、動画も作っていますのでそちらを貼って終わります。
例によってYouTubeとニコニコ動画両方に投稿していますので、お好みのほうでご視聴ください。
唐津くんちの魅力の1つでもある独特の囃子もこちらで聴けますので是非。
忙しい人のための唐津くんち2013
忙しい人のための唐津くんち2013